イベント「日常系アニメのソフト・コア」を開催します

日常系アニメのソフト・コア
会場:VISUALAB
開催日:2014年3月9日(日)
時間:14:00〜20:00
参加費:1000円

KINEATTICさんとのコラボ企画として、日常系アニメについて発表・討論を行なうイベントを開催します。当日はUSTによる配信もあります。
興味のある方は、ぜひご参加ください。(志津A)

↓イベントの詳細
http://peatix.com/event/30297

↓KINEATTICさんのサイト
http://www.kineattic.com/

『セカンドアフター vol.3』 委託・通信販売、開始しました

『セカンドアフター vol.3』、COMIC ZIN様にて、委託販売・通信販売を開始しました。以下のサイトより、お求めください。


COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 second after vol.3:
http://shop.comiczin.jp/products/list.php?category_id=3427

『セカンドアフター vol.3』の内容詳細につきましては、こちらのページを参照してください。

よろしくお願いします。(志津A)

『セカンドアフターvol.3』目次

ブース番号:オ‐40

第十七回文学フリマ
会場:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
開催日:2013年11月4日(月・祝)
時間:11:00〜17:00
サークル名:セカンドアフター
価格:800円

目次

二〇一三年のサブカルチャーの風景――巻頭言に代えて
志津A

Web漫画における書字方向とコマ割りについて
すぱんくtheはにー

The Phantom of the Atom――伊藤計劃について、或いは幻肢痛ファントム・ペイン
tacker10

二〇一〇年代の日常と表現――マイクロポップから花見2.0へ
てらまっと

映画対談
震災後の連帯と分断 ――園子温クリストファー・ノーランを中心に
熱海いかほ × 志津A

アメリカナイゼーションへの抵抗としての郊外――島田雅彦試論
kei_ex

失われた世界の「フォークロア」――今こことは別の水脈をたどって
兎男

ガールズ&パンツァー』を見るヒトラー総統――サブカルチャーにおけるナショナリティについて
志津A

Web漫画における書字方向とコマ割りについて
すぱんくtheはにー(@SpANK888)
インターネットの普及によってウェブ上にも掲載されるようになったマンガ作品。単に紙面からウェブへと掲載場所が変わっただけのようにも見えるが、実際には紙面とウェブの間には大きな違いがあり、そこには新たな表現ジャンルが出現しつつある。「Web漫画」という独自の表現ジャンルに対して書字方向やコマ割りなどを通して分析を行なうマンガ論。今年の春に竹熊健太郎を中心にTwitter上などで盛んに行なわれた、マンガにおける縦書き/横書きという書字方向の議論に示唆を与える論考でもある。

The Phantom of the Atom――伊藤計劃について、或いは幻肢痛ファントム・ペイン
tacker10(@tackerx)
伊藤計劃が多大な影響を受けた作家に小島秀夫がいる。小島の手がけたメタルギアシリーズが「ビッグ・ボス」という冷戦時代の亡霊を取り扱うゲーム作品ならば、伊藤計劃においてもそのような冷戦以後の問題系を如実に見出すことができる。小島‐伊藤という継承関係を中心に、死・テクノロジー・言語といった観点から論じられる伊藤計劃論。伊藤のノベライズ作品である『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』をメタルギアシリーズの中に適切に位置づけることによって伊藤の他の小説作品のテーマ設定がより明確になることだろう。

二〇一〇年代の日常と表現――マイクロポップから花見2.0へ
てらまっと(@teramat)
アニメにおいて「日常系」と呼ばれるような傾向性が出現したのと歩調を合わすかのようにアートの領域においても日常性に根差した表現がゼロ年代に登場した。そのような日常性に根差した表現が震災以後も意味を持ちうるのかどうかという問いを出発点に、椹木野衣の議論などを参照しつつ、震災以後の2010年代に相応しいアート表現の方向性が摸索される。花見2.0という慣習のヴァージョンアップが示す新たな日常性とはどのようなものなのか。

映画対談
震災後の連帯と分断――園子温クリストファー・ノーランを中心に
熱海いかほ(@atamiikaho)× 志津A(@ashizu)
震災と関わりの深い作品を取り上げて話し合う対談シリーズ。今回のテーマは映画。震災を取り扱った園子温の二つの作品(『ヒミズ』『希望の国』)を出発点に、ノーランのバットマンシリーズなどを迂回して、新たな連帯の可能性が摸索される。とりわけ園子温とノーランに共通して見出されるテーマとして父の問題があるが、そうした父子間の継承の物語が連帯の問題系とどのように接続されるのか/されないのかが問われる。

アメリカナイゼーションへの抵抗としての郊外――島田雅彦試論
kei_ex(@kei_ex)
90年代からゼロ年代にかけて、ある種の都市文化論として、幅の広い議論が展開されてきた郊外論。そうした様々な議論に先立つかのように80年代において明確に郊外という観点から小説を書いてきた作家が島田雅彦だった。冷戦以後、「帝国」という観念さえも持ち出されていたグローバルな世界状況において、果たして郊外という立脚点なき足場はどのように抵抗の拠点となりえるのか。

失われた世界の「フォークロア」――今こことは別の水脈をたどって
兎男(@Usagi_Otoko)
村上春樹の小説においてはしばしば、現代の消費社会に対して、あたかもそれを一種の説話のように距離を取って語られることがある。「喪失」に対して春樹が向ける視点はそのような極めて個人的な「フォークロア(民間伝承)」の形を取っていると言える。春樹の小説を軸に、フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』、夏目漱石『こころ』、東浩紀クォンタム・ファミリーズ』などを参照し、『1Q84』や『多崎つくる』といったここ最近の春樹の作品に至るまで、その「喪失」を巡るテーマが論じられる。

ガールズ&パンツァー』を見るヒトラー総統――サブカルチャーにおけるナショナリティについて
志津A(@ashizu)
今日のアニメ作品においてはナショナリティを意識させるような表現がしばしば避けられる。しかしながら、対外的にはナショナリティという枠組みは確固として存在し、それを無視することはできない。こうしたナショナルな共同性を中心に、今日における擬似的・仮構的な共同性をニコニコ動画MAD作品を見ることによって問題にしていく論考。アニメ『ガールズ&パンツァー』で提示された「戦車道」という優れて戦後的な倫理観をどこまで肯定することができるのか。

文フリ当日はよろしくお願いいたします。(志津A)

【追記】
今回の文学フリマでは、お隣のブース(オ-41〜42)のアニバタさんとのコラボ企画として、両サークルの新刊に寄稿されているすぱんくtheはにーさんのサイン色紙を、『アニバタ Vol.6 [特集]最近の京都アニメーション』と『セカンドアフターvol.3』の両方をご購入の方を対象に、ご希望の方先着10名様にプレゼントします。この機会に両新刊をぜひご購入ください。

『アニバタ Vol.6 [特集]最近の京都アニメーション』の詳細はこちら

超文学フリマに参加します

ブース番号:イ‐31

文学フリマ in ニコニコ超会議
会場:幕張メッセ
開催日:2013年4月28日(日)
時間:10:00〜17:00
サークル名:セカンドアフター

新刊はありませんが、『セカンドアフターEX2012』の改訂版(第二版)を頒布します(内容詳細はこちら)。

その他、少部数ですが、第1号、第2号も頒布します。

当日はよろしくお願いします。(志津A)

『セカンドアフターEX2012』第二版追加・修正点

以下が初版からの追加・修正点となります。

表紙
微調整

杜王町から考える
p.40下l.19
『デッドマンQ』

デッドマンズQ

p.43-45
注を微調整

ラブ・デラックスは砕けない
p.49下l.5
描かざる得なくなってしまったのだ

描かざるを得なくなってしまったのだ

亜人間は箱入り猫の夢を見るか
p.59上l.9
まず「キャラ」が「キャラクター」」に

まず「キャラ」が「キャラクター」に

p.59下l.3
夏目房之介は、手塚は登場人物の

夏目房之介は、手塚治虫は登場人物の

p.60下l.22
「コーラ kaora」

「コーラ khora」

p.61下
苦悩――それは「人間」そのものだ――に塗れていた

苦悩――それは「人間」そのものだ――に塗(まみ)れていた

p.67上l.17
「一時創作」

「一次創作」

p.99
以下の文章を挿入

編集後記に代えて  志津A

 『ジョジョの奇妙な冒険』第四部には、『The Book』という乙一の書いたノベライズが存在する。この作品で描かれているのは、言ってみれば、その後の杜王町である。東方仗助たちが吉良吉影と闘った一九九九年という世紀末の翌年、二〇〇〇年の杜王町がそこでは描かれる。
 第四部において父と子との間の継承の問題が描かれていたのと同様、『The Book』においても父と子の間で受け継がれるものがテーマとなっていると言えるが、そこには何かしら否定的なものが、言うなれば、負の継承とでも呼べるようなものが存在している。
 『The Book』に登場するオリジナルのキャラクター、蓮見琢馬と双葉千帆とは、彼らの父たちが残した負の遺産清算するために事件を起こす。別の見方をすれば、彼らの存在そのものが父たちの残した負の遺産であり、彼らの行動原理は、そもそもの初めから、その生のうちに書き込まれていたと考えることができる。
 こうした負の継承については、まさに、『ジョジョの奇妙な冒険』の最新作である『ジョジョリオン』においても、「呪い」という言葉によって指し示されているものだろう。一族の血を引き継ぐこと、同じ土地に住み続けることのうちには、正の継承だけではなく、負の継承の問題も伏在している。
 しかし、よくよく考えてみれば、こうした継承の問題にあっては、その正負を判然とは分かちがたいところがある。個人の存在を生まれたときから規定し、人生を限定するような枷という観点からするならば、どのような継承においても、何かしら否定的な側面というものを拭い去ることはできない。
 自らの運命から逃れようとするまさにその逃走行為によって運命の深みへと逆にはまりこんでいったオイディプス王のように、受け継がれるべきものは必ずその継承者へと手渡される。『The Book』に見出されるのはそのような運命の輪の回転であり、同種のことは、また別の形で『ジョジョリオン』にも見出される。
 『ジョジョリオン』が示しているのは杜王町吉良吉影という名と強く結ばれているということである。第四部においては部分的な繋がりしかなかったジョースター家・東方家・吉良家という三つの家系が相互に強く結びついていることが示される。
 『デッドマンズQ』においても、幽霊となった吉良吉影が再び杜王町(正確には「杜王区片平町」)を訪れることになるわけだが、こんなふうに吉良吉影の新たな遍歴が描き継がれることのうちに、『ジョジョ』という作品のうちに「その後」の観点が明確に組み込まれていることが理解される。「その後」の観点とは、物語がそこで完結せずに、物語の綻びからまた新たな物語が始まっていくという、そのような一種の螺旋運動のことである。
 おそらく、吉良吉影というひとりの殺人鬼を排除するだけでは、杜王町の物語は完結しないのだろう。と言うよりも、吉良吉影のうちには何か過剰なものが、どんな困難な状況にあろうとも、出口を求めて行動し続ける生への執念のようなものを見出すことができる。こうした執念が作品の枠組みを超えて、杜王町の新たな物語を生み出す原動力になっていると考えられるのである。
 性急な終わりを求めるカタストロフという名のシニシズムに対抗できるものがあるとすれば、それは、このような生の過剰であるだろう。『The Book』が双葉千帆の懐妊を示唆することによって終わっているように、生の過剰こそが「その後」の観点を切り開く。たとえそれが呪われた生であったとしても、いや、むしろそうだからこそ、そのような生の過剰が、完成した(すでに理解されてしまった)物語に亀裂を生じさせるのである。

寄稿者一覧
tacker10(@irie_haruki)

tacker10(@tackerx)

セカンドアフター公式ust 第5回 :ここ最近のショートアニメについて――『あいまいみー』と『戦勇。』を中心に

日時:2013年3月24日(日)20:00〜
参加者:すぱんく(@SpANK888)さん、タッカー(@tackerx)さん
司会:志津A(@ashizu)
会場:セカンドアフター公式ust

他に『gdgd妖精s』や『直球表題ロボットアニメ』についても取り上げる予定です。webマンガのアニメ化、ニコニコ動画におけるアニメ視聴などといったメディア環境についての話も絡めて問題にできれば、と思っています。

それでは当日はよろしくお願いします。(志津A)

【参考】
Webマンガにおける視点移動とコマ割、そして単行本化について
http://spankpunk.exblog.jp/18269695/

冬コミ(C83)での『セカンドアフターEX2012』の委託について

ブース番号:東ハ−41a

コミックマーケット83
会場:東京ビッグサイト
開催日:2012年12月31日(月)
時間:10:00〜16:00
サークル名:こうさくらぶ
価格:700円

サークルこうさくらぶさんのご厚意により、今年もまた、『セカンドアフター』誌をブースに置いてもらえることになりました。

先月の文学フリマで発行した増刊号『セカンドアフターEX2012』に加えて、1号と2号も委託します。各号、小部数の委託となりますが(特に2号は残り少ないです)、よろしくお願いします。

こうさくらぶさんの『放課後のつくりかた』とご一緒に、『セカンドアフター』をぜひお求めください。

こうさくらぶさんの『放課後のつくりかた』の詳細は→こちら