『セカンドアフター』vol.1 目次

セカンドアフター vol.1
ブース番号:オ−27

第十三回文学フリマ
会場:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
開催日:2011年11月3日(木・祝)
時間:11:00〜16:00
サークル名:セカンドアフター
価格:500円

目次

巻頭言
志津A

ツインテールの天使――キャラクター・救済・アレゴリー
てらまっと

さよならの向う側――『電脳コイル』について
ココネ

セカイの終わりを荘厳する思想――めんまが二度死ぬとき僕達は「あの花」と別離する
兎男

対談:震災とマンガ
キャラクターと記憶の継承――『COPPELION』と『侵略!イカ娘』を中心に
イワン×志津A

震災という「破局」と新しい公共性に向けて――アナロ熊ゴジラ、あいさつ坊や、かえるくん
熱海いかほ

ツインテールの天使――キャラクター・救済・アレゴリー
てらまっと(@teramat)
5万字の力作論考。空気系アニメ、『けいおん!!』最終回、ベンヤミンアレゴリー論、梅ラボやthreeなどの現代アート、ルイズコピペといったいくつかの領域を経巡ることで、キャラクターによる救済の可能性が問われる。「「終わりなき日常」が終わりを迎えるとき、薄れゆく意識のなかで、私たちは天使のツインテールがひるがえるのを見るだろう」。

さよならの向う側――『電脳コイル』について
ココネ(@_kokone)
電脳コイル』論。本編冒頭のナレーションを手がかりに、『電脳コイル』の根本的なテーマを見出し、そこから、死者との別れという困難な課題、喪の問題が提示される。いったいどのようにして「さよならの向う側」が見出されるのか。そして、「向う側」にあるものとは何か。

セカイの終わりを荘厳する思想――めんまが二度死ぬとき僕達は「あの花」と別離する
兎男(@Usagi_Otoko)
ココネさんの論考と対をなしているとも言える『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』論。仏教思想の観点から、『あの花』の「花」というモチーフに注目し、別離の問題、喪の問題にアプローチする。主題歌『secret base』で示された「君と夏の終わり」という言葉がこの論考の通奏低音となって響いている。

震災という「破局」と新しい公共性に向けて――アナロ熊ゴジラ、あいさつ坊や、かえるくん
熱海いかほ(@atamiikaho)
東日本大震災を戦後史の流れに位置づけることによって問い直されることになるのは公共性の問題。アナログ放送終了という出来事や(震災後に繰り返し流された)『あいさつの魔法』のCMのうちに、公共性に関する重要な問題が潜在していることを明らかにする。裏テーマとして、サブタイトルに示されているように、戦後史においてキャラクターの存在がどれほど重要な役割を果たしてきたか、ということも示される。

キャラクターと記憶の継承――『COPPELION』と『侵略!イカ娘』を中心に
イワン(@iwamoso)×志津A(@ashizu)
マンガに造詣の深いイワンさんとの対談。今回の震災との関連でいくつかのマンガ作品を読み返してみて改めて思い知らされるのは、核の問題と戦後サブカルチャーとの間に深い関わりがあったということ。こうした核の問題とキャラクターの問題とが交差するところに未来への継承の可能性を見出す。

『セカンドアフター』第一号のテーマは、東日本大震災サブカルチャーです。この同人誌の基本的な方向性もまた、震災以後の状況の中でサブカルチャーについて考えるというものですが、第一号はその基本的な方向性を確認し、問題の所在がどのようなところにあるのかを概観するものになっています。

第一号にあえてタイトルを付けるとすれば、「キャラクターと戦後」という感じになるでしょう。震災という出来事は、これまで過ごしてきた時代の特殊性に気づかせる契機になったと言えます。そうした意味で、寄稿者それぞれが自分の立場を反省し、その結果、様々な回帰と反復とが論考間で共鳴することになったと言えます。

それでは、文学フリマ当日、よろしくお願いいたします。(責任編集:志津A)